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【すごい発見】自己肯定感の低さ、そもそも比較することから始まった

2024年6月21日

星の数ほどあるブログの中から、当ブログにお越しくださりありがとうございます。

 

 

「老化もまた進化」を合い言葉に明るく生きるためのヒントを愛を込めて綴ります。

 

 

比較はよくない、と言われますが本当なのでしょうか?

 

 

確かに私たちは生まれてからず〜〜っと親や友人、学校の先生、会社、社会などから比較されながら生きてきましたよね。

 

 

テストの点数、走るのが早いとか遅いとか、性格が良いとかわるいとか、仕事ができる、できないなど、人格、能力においてあらゆる場面で優劣をつけられてきました。

 

 

そうして、人と比べて劣っていると勝手に判断して自信喪失、自己嫌悪、自己評価をどんどん下げていくのです。

 

 

今さら比較することはよくないと言われても、実際にそれはこれからもずっと続いていくでしょう。

 

 

ですが、比較に対する解釈を変えて、少しでも小さい頃からの習慣や思いグセを変える、自信を取り戻す、ことはできます。

 

 

今からでも遅くはありません。「解釈もまた進化」です。あなたが明るく生きるためのヒントになればうれしいです。

 

 

母の日の手紙

 

 

マリモは幼少期に母から性格のいい弟とよく比べられ辛い思いをしてきました。大人になってからはその記憶は 忘却の彼方でしたが。

 

 

最近になってやっと気づいたのは、比べられることが脅威となっていたことです。母から見捨てられるのではないかという不安、悲しみなど無意識下でトラウマとなっていたようです。

 

 

なにより母から見捨てられたら終わりと思ってしまったんでしょうね。

 

 

極めつけは母の日の手紙、小学生の頃、母の日に手紙を書きました。私は「おかあさん、いつも本当に 本当に 本当に 本当に ありがとう」

 

 

一方、弟は「おかあさん、いつも本当にありがとう ありがとうありがとう ありがとう ありがとう」

 

 

もちろん 弟が褒められて私の手紙はけなされたわけです。どっちも個性なのにね 、個性を認めてあげればいいだけなのにね、好みの問題だけどお母さんはこっちが好きって言っちゃうと、子ども心に傷ついちゃうんですよ。

 

 

もう半世紀も前の話なのに記憶が蘇ってきました。その子の個性が一つ消える、ユニークな個性が消えちゃうんです。

 

 

そのことが引き金になったか長年の積み重ねか、母との関係は今でもギスギスしています。(^_^;)

 

 

ずっと長いこと自己評価を下げまくって自信喪失、自己嫌悪になり、いつも不安、落ち着かない、他人に気を使い過ぎて疲れる、

 

 

なのに変な競争意識もあり、人の幸せや成功を素直に喜べないというヤバい性格を創り上げてきたのは私自身です。

 

 

「こじらせちゃん」となりまして、そんな自分にダメな人というレッテルを貼り傷つけてきたのです。

 

 

こんなイメージが湧いてきました。何度も何度もネガティブな思いグセを繰り返すことで、強くて切れ味の鋭い刀に鍛えあげているイメージです。それで自分の心を傷つけている、と考えるとおそろしいです。

 

 

 

 

緊急事態です!今すぐ解釈を変える必要があります。やっと最近、最適解を見つけることができました。まずは過去の自分を癒すことが一番です。

 

 

 

 

時空を超えて、寂しげな過去の自分のところに行くのも良し、よしよししてあげたり抱きしめてあげてもいいですね 。そして、こんな優しくも力強いメッセージを伝えるはいかがでしょうか

 

 

私は私であり他の誰とも比較できない ユニークな存在であること、私はそのままで愛される価値のある存在、生きているだけで100点満点なんだよと。

 

 

小さな自分がニコッとなるまで 思う存分 妄想の世界に浸ってみるのもいいかもしれませんね。

 

 

これらの言葉を繰り返すうち、心に余裕が生まれます。母は母で幼い頃から不遇な環境で育ってきたゆえのトラウマを抱えてきたのも理解できました。負の連鎖が起こっていたんです。

 

 

最終的には母との関係も癒されていくことが目標です。目標が決まればあとは 継続 あるのみです。やっとたどり着いた境地です。

 

 

誰も教えてくれませんでした。学校ではそういうことを子どもたちに教えて欲しいと切に願います。

 

 

比較することのメリット

 

 

比較することに戻りますが、比較されることで傷つき自己肯定感が下がるというデメリットの裏側には、必ずメリットもあるんです。

 

 

 

物事には両面があると言われます。デメリットがあれば その瞬間、同時にメリットも必ず同じ質と量だけあるというのです。

 

 

 

それを理解するとニュートラルに戻れます。 プラスとマイナスがゼロになるということです。ホッとする場所に、本当の自分に戻れるんです。

 

 

 

ということで、人と比べることはいいこともあるし悪いこともある、悪いほうばかりを見ている、それをしてるのは自分の解釈です。

 

 

真実は、人と比べることでハッピーにもなれるし、人の幸せや成功を自分のことのように心から喜べるようになります。なれるはずなんです。

 

 

反対側にあるメリットに想いを馳せることによって自然と解釈が変わっていくのを実感してみましょう。オセロのように一つ一つひっくり返してしまいましょう。

 

 

果たしてメリットなんてあるのでしょうか。安心してください、ありますよ。

 

 

比較することによるメリット

 

比較することによって、自己否定的な感情が生まれるわけですが、じつはそれにじっくりと向き合うと、自分の弱点や課題に対する認識が深まるというメリットがあります。

 

 

それに気づけば、改善するためのきっかけとなり、克服するための具体的な行動を計画したり、自己成長のプロセスを通じて、より強い精神力や自信を得ることが可能です。

 

 

また、自分が何にストレスを感じ、不安を覚えるのかという理解が深まり、心の健康を意識するようになります。

 

 

心と体は密接につながっていますから、リラックスする時間を取ったり、効果的なストレス発散の方法を実践する機会が増えていくでしょう。

 

 

例えば、深呼吸やマインドフルネス、適度な運動や食事、休養を取ることなど心身の健康を保つために意識的に取り組むようになるでしょう。

 

 

さらに、自己肯定感が低いと、自分を過大評価することが少なくなり、他人に対して謙虚な態度でいられます。

 

 

他人の苦しみや悩みに対して共感したり、他人をサポートする力が高まりますから、周囲との関係性も改善され、より深い人間関係を築くことができます。

 

 

さらに、自分に満足していない状態が新しい目標を設定し、それに向かって努力するモチベーションとなることもあります。自分の小さな成功を認める習慣を持つことや、ポジティブな自己対話を増やすことも有効です。

 

 

このように比較から生じるネガティブな感情やストレスは、ネガティブな側面ばかりに注目すると辛いものでしかありません。ですが、それを逆手に取って、自分をいたわり、成長の機会とすることもできるのです。

 

 

全ての感情や経験は、私たちの一部であり、その中には学びや成長の種が必ず眠っています。

 

 

さいごに

 

自分の心と体を大切にすることを忘れずに、毎日の生活に小さな幸せや満足感を見つけることが何よりも大切です。それに気づかせてくれたのは幼い頃のトラウマ。

 

 

マリモはやっとそのことに気がつき、トラウマも自分の一部であると受け入れました。自分の中のネガティブな部分をゆるし癒やすことを続けていきます。

 

 

幼い頃の事実は変わらないにしても、このように解釈が変わったことで、オセロの角をとった時のようにダーーーっとひっくり返っていくんです。

 

 

もう、その頃には黒でも白でもどっちでもいい、ネガティブもポジティブもどっちもいい!というニュートラルな境地になることでしょう。

 

 

そこが心が落ち着く場所、本当の自分の戻る場所です。

 

 

自分を受け入れ認め癒すことを深めていけば、人のことも同じように受け入れ認め 癒やすことのできる器の大きな人になれることでしょう。

 

 

物事には両面がある、これは真理です。ネガティブだけを邪魔者扱いすることで、自分の持っているネガティブな部分を邪魔者扱いしていることに気づけます。

 

 

つまり、人と比較してこじらせていたのは自分の解釈、ここから様々な問題が起きていることに気がつけるようになります。

 

 

難しいことはありません。ネガティブなことの裏にあるポジティブな側面を探すだけです。もっというと、ポジティブなことの裏にもネガティブなことが隠されているのですが、続きは次回にしたいと思います。

 

 

あなたの大切な時間を使ってお読みいただきありがとうございました。

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