星の数ほどあるブログの中から、当ブログにお越しくださりありがとうございます。「老化もまた進化」を合い言葉に明るく生きるためのヒントを愛を込めて綴ります。
本当は怖い「思考のゲシュタルト崩壊」実体験パート3となります。
「あれ…これまで信じていたことが、まるで砂の城のように崩れていく——」そんな感覚に陥ったことはありませんか?
それは、まさに「思考のゲシュタルト崩壊」が起きた瞬間かもしれません。
今回は、静かに、しかし深くわたしたちの思考に影響してきた「マインドコントロール」の正体と、それに気づいた時に起こる心の揺れ、そしてその先にある“朗報”についてお話しします。
ゲシュタルト崩壊とは
本来は「認知の崩壊現象」。たとえば、漢字をじっと見つめ続けていると、意味や形が分からなくなってくる現象のことを指します。
ですがここでいうゲシュタルト崩壊はもっと深いもの——
「信じてきた世界観そのものが、音もなく崩れていく」 心の中の地図がバラバラになっていくような感覚のことです。
静かなるマインドコントロールとは
「マインドコントロール」と聞くと、宗教や洗脳のような“極端な”ものを思い浮かべるかもしれません。けれど本当に怖いのは、もっと日常の中に溶け込んだ“静かなコントロール”です。
たとえば——生まれたとき、わたしたちは親を100%信じて生きていました。親がすべてで親が言うことは絶対でした。
やがて幼稚園や学校に入ると、今度は「先生」という存在が加わります。社会との接点が広がるたびに、信じる対象も広がっていくのです。
テレビ、新聞、政治家、専門家…そして、国。わたしたちは生きていく中で、信じる対象をどんどん変えながら、静かに支配されていく——。
「こうあるべき」「みんながそうしてるから」いつの間にか、他人の価値観や社会のテンプレートに、自分の“正しさ”を委ねてしまっていたのかもしれませんね。
でもある日——詐欺に遭ったり、不可解な制度に直面したり、物価高や税金に苦しめられたりして、ふと気づくのです。
「私は何を信じてきたんだろう?」
たとえば国の政策も、よく見れば詐欺のようなものも多いですよね。
「国の財政を黒字化する」と言えば聞こえはいいですが、その裏側で赤字を背負わされて苦しむのは国民です。
また、最近の米の価格高騰、生活にじわじわと響いてくるあらゆる物価の上昇、なんだかおかしいと感じ始めている人も増えてきたのではないでしょうか。
そこに気づいた瞬間、マインドコントロールは終わりを迎えます。
大きな揺さぶりの中で目覚めること。
それは苦しくもありますが、本当の意味で「自由になる第一歩」です。
卵が食べられない
ここでマリモの実体験です。数年前に北海道で卵不足を体験しました。ちょうど用事があって帰省した折に起こっていた出来事。
2023年3月下旬、北海道千歳市の養鶏場で高病原性鳥インフルエンザが検出されました。感染拡大を防ぐために、多くの鶏が殺処分され、卵を産む鶏が大幅に減少しました。
そのため、卵の供給が不足し、それに伴い卵の価格が高騰。一部の小売店では購入制限が実施されたり、一部のメニューを販売停止する外食店なども見られました。
当たり前のようにあった卵がある日を境になくなるという信じられない出来事に驚きを隠せませんでした。
と同時にきな臭いものも感じました。どうやら北海道は何か良からぬ計画を実行しやすく、シミュレーションの舞台には最適なのでは?まあ陰謀論はこのくらいにしておきます。
わたしはこの状況に対して、身近な人の反応の仕方には2種類あることを確信しました。
母のように卵が食べられなくて、ただただ困惑している人。一方、私の友人のように「ないなら、ないなりに」というスタンスで完全に肝が据わった人。
ただ、外食では卵料理を比較的容易に食べることができましたし、その友人とはゆで卵のトッピング付きスープカレーを美味しくいただきました。
それに、スーパーのお惣菜コーナーでも厚焼き玉子や茶碗蒸し、温泉卵などのお惣菜は並んでいました。要は一般庶民より外食産業優先ということです。
それより何より、卵がなくなった日、そこから見えた友人の心の余裕の正体は一体何だったのか?知りたくなりました。今回の米不足にも生かせる知恵だと思います。
卵がなくて困る人となくても平気な人の違い
安心・安全への執着の強い母のようなタイプは、日常の習慣が乱されることが不安に直結します。
食卓にいつものものが「ない」だけで、生活の安定が崩れたという「不安」につながるんです。それは「ないこと=マイナス」と感じる欠乏意識からきています。
一方、友人のようなタイプは、変化は自然なものと受け止める柔軟さを持っています。
今あるものを食べればいいと今に意識を向ける力と、なくても何とかなると「状況に身を委ねるあり方」を選んでいます。これは、あるものに目を向ける充足意識からきています。
今回の米不足も、コンビニやスーパーなどには普通におにぎりやお惣菜、レトルト食品、冷凍食品など割高ではあっても並んでいます。
外食チェーン店でも、メニューの値上げやおかわり無料サービスの廃止など様々な影響が見られるとはいえ営業できており、食品廃棄も通常通りのようです。
どちらが正しいというより、自分はどうありたいか、という問題ですね。わたしは圧倒的に友人のスタンスでありたいです。「ある」に焦点を合わせる充足意識に。
それは朗報かもしれない
「信じていたものがウソだった」
「真実と思っていたものが操作されていた」
思考のゲシュタルト崩壊が起きた瞬間、頭の中は真っ白になります。同時に怒りや悲しみ、裏切られたような気持ちが押し寄せてくることでしょう。
「ああ、私は騙されていたんだ」政治に、メディアに、教育に、正義に——そう気づいた時、心は怒りや悔しさで揺れます。
気づいた後、どうするか?
その怒りをずっと握りしめていたらどうでしょう?実はそれも、まだ“マインドコントロール”の延長線なのかもしれません。
「誰かのせいだ!」と怒り狂っているうちは、その“誰か”に感情を支配されている状態です。ある意味、それこそが“誰かの思うツボ”。
混乱は悪いことではありません。それは、深い眠りから目覚める時に起こる自然なプロセス。心の奥底で“本当の自分”が目覚めた証、それは朗報かもしれないのです。
ゲシュタルト崩壊は「再構築」の始まりです。どうか、恐れずに。崩れたその場所から真のあなたが立ち上がります。
いったん壊れたものは、もう元には戻りませんが、。壊れたからこそ「自分自身の考えで世界を再構築する」チャンスが生まれます。
ゲシュタルトが崩れたあとの“混乱期”は、魂の産道のようなもの。苦しくても、そこを抜ければ新しい世界に目を見開くことができます。
わたしたちはもう、誰かの言葉を鵜呑みにする存在ではなく、自分の魂の声に耳をすます存在へと進化しているのです。
感謝で終われる自由な心
だからこそ——「ああ、そうだったのか」
「騙されてたんだな、なるほど」
「でもおかげで目が覚めた。ありがとう」
そんな風に笑って言えたら、それは本当の自由。騙されたことすら人生のスパイスに変わる瞬間です。
“あ〜よく寝た”って起きる朝のように。
目覚めは、怒りじゃなく「感謝」と共にあっていい。怒りや恐怖よりもずっとパワフルなエネルギーがこの「ありがとう」に詰まっています。
ですから、政治を変えよう!社会を変えよう!
そう意気込まなくても、一人ひとりが感謝の視点で生きることこそが、本当に社会を変える“目覚めの革命”です。
今日ごはんが食べられたこと
水が飲めること
まあまあ健康でいられること
目の前にある“小さな幸せ”に焦点を当てていくだけで、日本のエネルギーは少しずつ変わっていく。
そして、目覚めた人が一定の数を超えたとき——静かに、でも確実に、この国は変わり始めるでしょう。
もう目が覚めた。ならば、そこから先は「自分で選ぶ人生」。重たくならずに、軽やか〜に。
信じることをやめなくていい。でも、「誰をなぜ信じるのか」その問いかけを持つことは、とても大切です。
時には誰かに頼ってもいい。でも、自分という存在を置き去りにしたままでは、いつか必ず揺さぶられます。
あなたの感覚を 声を 魂を 何よりも信じてあげてください。それが、本当の意味で「自由に生きる」ことのはじまりだから。🌱
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