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合い言葉は「老化もまた進化」。今日も明るく生きるヒントを、愛とちょっぴりシュールさを添えてお届けします。
「アリッサムとゲシュタルト崩壊」~小さな宇宙のゆらぎ~の続きになります。
「思考のゲシュタルト崩壊」と信者ビジネスの罠
~空白に入り込む声にご用心~
災いは台風だけじゃない
災いというと地震や台風、流行り病を思い浮かべがちですが、私は「詐欺」や「情報操作」も立派な“人災”だと思っています。
だって、同じ日本人同士で騙しあっているのですから。
宗教、カルト、怪しいセミナー、ビジネス塾。どれも「思考のゲシュタルト崩壊」と深くつながっています。
◆ 思考のゲシュタルト崩壊の怖さ
本来は「文字を見つめすぎて意味が崩れる」あの現象。
でも、思考のレベルで起きるとこうなります。
* 何を信じていいかわからない
* 判断力が鈍る
* 感情まで他人任せになる
この“空白”に、スルッと入り込んでくる存在がある。
そう、操り人形になる危険はそこで生まれるのです。
◆ 体験からの気づき
私自身、大きなショックで「頭まっ白」になった瞬間がありました。
そんなとき、やさしい声が近づいてくるんです。
「あなたの苦しみ、わかります」
「これは運命です」
「本当の答えを知りたくありませんか?」
……気づいたら耳を傾けていました。
振り返れば、それは“信者ビジネス”でした。
当時は藁をもすがる気持ち。やさしさの皮をかぶった“依存の種”を、すんなり受け取ってしまったのです。
◆ 信者ビジネスの特徴
「信者ビジネス」とは、ごく簡単に言えば——信じる人を増やし、その信用を利用して収益を得るビジネスモデルのことです。
◆ ざっくり言うと…
「この人(この教え、商品、世界観)を信じれば救われる」という構造をつくり、その“信じる気持ち”に付け込んで、継続的にお金を払わせる仕組みです。
カリスマ性:教祖・リーダー・メンターが絶対的
神格化:商品や教えに「奇跡」や「特別さ」が付与される
疑問を封じる:「疑う=成長してない」と誘導
継続課金:「次のステップへ」と支払いが続く
外界遮断:「外部はノイズだから切れ」と誘われる
よくあるパターンは…
「奇跡の水」「波動の布団」「高額セミナー無限ループ」。
すべての信者ビジネスを否定したいわけではなく、「信じて本当に幸せになりました。信じる者は救われる」という人もいるみたいなので、それで幸せなら全然かまいませんし。
実際 素晴らしいリーダー的存在の方もいます。騙すのも人ならば救ってくれるのも人なんです。
そして、信じたことを後悔するのではなく、「なぜ信じたのか」「どこでおかしいと感じたのか」を見つめ直すことで、自分だけの“信じる力”を再構築できるようになります。
ただ、いつまでも騙されたことに執着しているのももったいない話。
一つの 恥ずかしい物語としてノートに書き出すのもよし、人に話すのもよし、こうしてブログに書くでもよし、その体験も大変貴重なブログネタになりますので。(笑)
何らかの形でアウトプットすると、執着から解き放たれて自由になります。
もはや漫才のネタにできそうですが、渦中では笑えません。
◆ やめられない心理=コンコルド効果
「ここまで投資したのだから、もったいなくてやめられない」
これが人間の心理トラップ。
高い会費を払った習い事
冷めてる恋愛
途中でストーリーを見失った長編ドラマ、でも「ここでやめたら今までの時間が…」と延々視聴
行列に30分並んでしまったから、もう戻れない流行りのスイーツ
すでに使ってないのに「年会費がもったいないから」と解約できないサブスク
盛り上がらない飲み会、でも「帰る」と言い出せないあの空気
どれも「やめ時」を逃すパターンです。
大切なのは「過去にいくらかけたか」ではなく、
「これからどうしたら一番幸せか」という視点。
やめる勇気が「未来の切符」になるんですね。
惑わされないために
信じる気持ち自体は自然で、時には力にもなります。でもそれが、
* 「信じなきゃ不幸になる」
* 「信じてるなら買いなさい」
* 「買わないのは波動が低い」
……といった方向に変化していくと、もう“ビジネス”ではなく“操作”です。
* 情報を一旦止める → 深呼吸、自然に触れる
* 自分に戻る → 「私はどう感じる?」と問いかける
* 笑えるうちは大丈夫 → ユーモアは最強の回復剤
チェックリスト →
* 他の意見を認めているか?
* 「すぐ決めろ」と急かさないか?
* 「特別な使命がある」と持ち上げてないか?
* 「秘密だから言うな」と言ってないか?
* 続けるほど金額が上がっていないか?
ひとつでも「ん?」と思ったら、勇気をもって距離を置きましょう。
わたしの場合は、実は騙されたとも思っていませんが、惑わされた感はあります。ただ、何かに打ち込むこと、そこに時間とお金とエネルギーの全てをぶち込んだおかげで正気を保てたとも言えるのです。
そして、 実際 ブログを書けるようになりましたし 、この世の中は何かおかしいというマインドも持てるようになりました。メリットも いっぱいありました。
ただ、メンターの意見は絶対でその人が赤といえば白いものでも赤と思え というような 偏った教えだったのです。何かおかしいと思うまで3年もかかってしまいました。
また、教材を購入することを自己投資と表現するのですが、 自己投資は一生続ける、死ぬまで続けなさいと言われた時、一生この人の言うことを聞かないといけないの〜〜〜と思うと苦しい、何かが可怪しい違和感しかない、となったのがやめるきっかけです。
最後に:空白は悪ではない
何か大きなショックや喪失、裏切り、不慮の事故、病気、経済的困難……そういった出来事は、これまで信じていた「当たり前」や「自分らしさ」をガラガラと壊します。
「今まで大切にしてきたものは…何だったんだろう」
「この先、どうやって生きていけばいいの…?」
その瞬間、思考のゲシュタルト崩壊が起こるんです。頭も心も真っ白。世界は輪郭を失い、言葉が届かなくなる。傍らにかわいい花が咲いていても気づかなくなります。
そこに差し込んでくる優しい声、柔らかなまなざし。でもその実態は、あなたの“空白”にすっと入り込む巧妙なプログラムかもしれません。
誰かが意味を再定義する前に、自分で意味を選び直せばいい。
崩れたあとに咲く花は、もっと強くて優しいはずです。
「もう誰にも、“自分の意味”を乗っ取らせない」そう決めたとき、
次の空白の中で迷う誰かを
今度はあなたがやさしく見守る存在に
なれるのかもしれません。
本当は怖い「思考のゲシュタルト崩壊」実体験②に続きます。
大切な時間を割いて読んでくださり、ありがとうございました🌸