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「アリッサムとゲシュタルト崩壊」~小さな宇宙のゆらぎ~

星の数ほどあるブログの中から、当ブログにお越しくださりありがとうございます。「老化もまた進化」を合い言葉に明るく生きるためのヒントを愛を込めて綴ります。

 

 

ある日、公園でアリッサムの花をじーっと見つめていました。白くて小さな花がたくさん、ぎゅっと集まって咲いている。

 

 

それはそれは可愛らしくて癒しの存在…のはずだったのに。

 

 

「……あれ? くらくらする??」

 

 

何だか、アリッサムが“白い斑点の集合体”に見えてきて、花としての意味や可愛さがどこかへ飛んでいってしまったのです。

 

 

それは、まさに——

 

 

視覚のゲシュタルト崩壊でした。

 

 

◆ ゲシュタルト崩壊ってなあに?

 

アリッサムのようにパターンが細かくて反復しているものは、脳が「全体のまとまり」として認識しようとがんばるのですが、同じ形が多すぎて、処理が追いつかなくなるようなのです・・・

 

 

そのため、花の集合がただの形の集まりになってしまい、意味や美しさが崩れて不安定に感じるという現象が起きるのです。

 

 

あなたにもこんな経験はありませんか?同じ文字、たとえば「ありがとう」という言葉を何度も書いていると、「あれ…これって本当にこんな字だっけ?」って不思議な感覚になる。

 

 

私の場合、「今」という漢字を何回も書いているうちに、「笠をかぶった陽気なラ」に見えてきます。同じ文字の羅列に認知能力が下がってしまうことで起こります。

 

 

また、絵画をじっと見ていると、形や色が分解されて、最初に感じた感動が消え、ただの筆のあとにしか見えなくなる。これは、「全体を意味として捉えていた脳」が繰り返し見ることで「意味」を失い、バラバラの形として認識し始めるからです。

 

 

花も、文字も、絵も…視覚のゲシュタルト崩壊は、意外と日常の中にひそんでいます。

 

 

他にも、聴覚や味覚、皮膚感覚にも生じると言われています。「私はマリモ、私はマリモ…」と繰り返していたら、急に「えっ、マリモって誰?名前ってただのラベル?」と自我がふっとゆらぐ。

 

 

「ありがとう」を100回言った後にふと訪れる静寂。「ありがとう」とは何か。ありがたいって何だ?途中で「おりごとう」を挟みたくなるのわたしだけ?

 

 

満月の頃に音楽を聴くと、リズムが可怪しく聴こえるなどは聴覚のゲシュタルト崩壊と言えます。

 

 

もうひとつには、普段、意識せずにしている行動、たとえば呼吸や唾を飲み込むといったものを一旦意識するとできなくなるという現象もあります。

 

 

「あれ、次にどっちの足を出せばいいんだっけ?」この状況は階段を利用しているときに起こります。階段はその構造上同じようなデザインの足場が上下に延々と続いています。そのため、気付いたときには認知能力が低下してしまい、実際に転びそうになることがあるので注意が必要です。

 

 

ただし、ゲシュタルト崩壊の起こりやすさには、個人差があるそうです。

 

 

こんなことばかり書いていると、ゲシュタルト崩壊を起こしてきて、きちんと考えることができなくなりますので深入りは禁物ですね。

 

 

でもね、そこで私は思ったのです。

 

 

ちょっと心配になりますが、一時的な現象で特に心配する必要はありません。たぶん。笑っているうちが花。

 

 

~笑っているうちが花~

 

ゲシュタルト崩壊と笑っていられるうちが花なのです。でも、それが何度も続いたり、生活に支障が出てきたら……ただの“おもしろ現象”じゃすまなくなるのも事実。ややもすると、認知症の初期症状・・・の可能性も否めない。共通点は「意味の崩れ」。では、その境界線とは?

 

ゲシュタルト崩壊 

原因 :一時的な集中や疲労、ストレスなど

持続時間 :短時間で回復

自覚:「あれ?変だな〜」と気づける

ユーモア性 :「また崩壊した〜」と笑いに変えられる

 

認知症の初期症状

原因:脳の神経細胞の変性・記憶障害など

持続時間:徐々に進行していく

自覚:「あれ?変だな〜」と気づけない、気づいても曖昧

ユーモア性 :不安感や怒りがともなうことも ある

 

判断のポイントは、それが「毎日」「何度も」になるようなら、そっと病院を訪れるのも未来の自分への愛ある行動です。ゲシュタルト崩壊か、記憶の迷子か。 違いを知っておくことで、「笑い」と「備え」の両立ができます。

 

 

そう、ゲシュタルトが崩壊しても、笑えていれば大丈夫。「意味がなくても、気持ち悪いけど、どこか面白い」。この“不安とユーモアの間”にこそ、感性が花開くこともあるのです。

 

 

ゲシュタルト崩壊は「日常の中のバグ体験」

 

 

それはまるで、脳の中の常識が小さく揺さぶられるような感覚。気持ち悪さの中にある「面白さ」ちょっと不安になるけど、そこに不思議な自由さや無重力感もある小さな宇宙のゆらぎ。“今まで見えてた世界が、別のものに見える”って、実はクリエイティブな体験なんです。

 

 

だからわたしは、こんなときは深呼吸して、空を見ます。そして、小さな花に「ただ、ありがとう」と声をかけてみます。もはやそれが、何の意味をもっているかは分からない。だけど、不思議と心は落ち着くのです。

 

マリモのチャンネル アリッサム

 

アリッサムは、語りかけてきました。

 

「わたしは花だけど、意味ではないよ」

 

「ただ、咲いてるだけ。それがすべて」

 

 

そのメッセージに、私の中の小さなゲシュタルトは、また新しい“かたち”になって咲きましたとさ。

 

 

笑っているうちが花。崩れたって、また咲けばいい。(あなたにも、そんな花が咲きますように)

 

 

あなたの大切な時間を使ってお読みいただきありがとうございました。

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