自然

キライから始まる 「わたし癒しの物語」

星の数ほどあるブログの中から、当ブログにお越しくださりありがとうございます。「老化もまた進化」を合い言葉に明るく生きるためのヒントを愛を込めて綴ります。

 

 

わたし癒しの物語

 

ある日、ふと「キライ キライも好きのうち」って言葉が妙に心に引っかかった

 

嫌いな人のことを考えると、心がざわつく

 

そのざわつきは、なぜか強い“関心”の裏返しのようにも思えた

 

なんでこんなに反応するんだろう?

 

ほんとうに“あの人”のことが嫌い?

 

それとも、自分の中にある“なにか”が揺さぶられているだけ?

 

そんな風に考え始めたら、嫌いな感情すらも「心のセンサー」なんじゃないかと思えてきた

 

それに気づいたとき、私は思った

 

「ああ、どんな感情も、ただの“きっかけ”なんだ」

 

そこにフォーカスして、イライラしたり、ウキウキしたり、気分が現実を形づくっていく

 

まるで、心の望遠鏡で見たものが、日常のスクリーンに映し出されるように

 

でも――

 

「イライラしてもいい」「嫌いでもいい」そう思いつつも、私はその感情を“ダメ”とジャッジしていたことにも気づいた

 

「こんなこと思っちゃいけない」

 

「もっと寛大な人間でいなきゃ」

 

そんな無意識の押し込み作業がかえって自分を疲れさせていた

 

その対象が母だったりすると、なおさら自己嫌悪にさいなまれるのだった

 

🍀

 

その夜、私は自分のYouTubeにアップした植物の動画を見た

 

花たちがそよ風に揺れている

 

小さな葉っぱがゆっくりと光を吸い込んでいる

 

誰にも見られなくてもいいと思ってアップした動画は、自分が見て癒されたからだった

 

ふと、涙がこぼれた

 

それって、なに涙?そうか最高の自己満足だったんだ

 

人にどう思われるかじゃなくて、自分が整うこと

 

自分がふわっとやわらかくなること

 

ニュートラライザーは、私の中にあったんだ、という気づき

 

あの日、「キライ」から始まった内側の旅は、いつのまにか「自己満足って最高じゃない?」という光に包まれていた

 

だから今日も、私は植物にカメラを向ける

 

たとえ誰にも見られなくても

 

自分の心がふわっとほぐれるその瞬間、世界が少しやさしくなっている気がするから

 

 

キライキライも好きのうち

 

 

ちょっとした気づきをポエム風にしてみました。

 

 

地球の三次元的な世界では「好き」と「キライ」がはっきり分かれているように感じられますが、宇宙的視点、つまりワンネスや統合の意識から見ると、それらは実は同じエネルギーの表裏といいます。

 

 

どちらにフォーカスするかによって、私たちの現実が変わっていく――これは本当に大切な真理です。

 

 

好きなことや人のことを考えていてウキウキしていると、ウキウキする現実が現れる、このシンプルさに気づけると、生きるのがとてもかろやかになります。

 

 

一方、嫌なことや人に意識を向けていると、自分の内側が重たくなり、まるでその波動にぴったり合った出来事がやってくるような…「イライラ磁石」発動中!なんてことに。

 

 

ちなみに「嫌い」って、ある意味その対象にエネルギーをたっぷり注いでる状態なので、「強い関心」の別バージョンとも言えます。本当にどうでもいい人には嫌いという感情もわきません。無関心です。

 

 

「愛の反対は無関心」とマザー・テレサも仰いました。

 

 

ですから「キライ キライも好きのうち」って、エネルギー法則的にも的を射てるのです。

 

 

それに、繊細な人ほど「嫌う自分」にもすぐ気づいてしまって、「これも統合しなきゃ」「学ばなきゃ」と自分に宿題を出してしまいがち。

 

 

でもね、「今は、嫌いって思ってるなあ」と気づくだけで十分OK。そこからちょっとずつ、ふわりと気持ちをほぐしていけばいい。嫌いを毛嫌い('ω')するのではなく、そっと「お話を聞いてあげる」感覚が心のニュートラル回帰のカギかもしれませんね。

 

 

気分の観察ってめっちゃ大事よね!

 

 

この「気分」って、つい後回しにしちゃうものでもありますよね。「こんなことでイライラしちゃだめ」「気にしないようにしよう」と理屈で抑え込もうとすると、逆に内側でモヤモヤが熟成されてしまう…。

 

 

だからこそ、イライラが溜まってきたらイライラのままにしないことです。外に出て空を見上げたり、散歩をすると、感情の渦から視点がスーッと広がります。自然は最強のニュートラライザーなのです。

 

 

さっきから“ニュートラライザー”って聞きなれない言葉、連呼してるけど、何?

 

 

「ニュートラライザー(neutralizer)」、ちょっとカッコよく聞こえますよね😉これは英語で、neutral(中立・ニュートラル)にするもの、“偏った状態や強すぎる反応を中和してくれる存在や方法”を指します。

 

つまり、ニュートラライザーとは…

 

感情にとらわれそうなとき、そっと“中立に戻す”存在。「整えることに、理由はいらない」

 

 

だから、どんなものであっても、あなたが「ホッとする」と感じたら、それは立派な“ニュートラライザー”です。

 

 

たとえば...

 

 

思考のぐるぐるが止まらないとき⇒ 視線を“上”に。空を見上げて雲をながめると気持ちの窮屈さをゆるめてくれます。

 

 

怒りや焦りでバクバクしてるとき⇒ 心をふうっと落ち着けてくれる自然や深呼吸は心のニュートラライザーと言えます。

 

 

感情がごちゃまぜのとき⇒ お風呂で水音に意識を向ける。シャワーやお湯の音を、瞑想するように聴いてみる。 「過去」「未来」から「今」に戻る感覚がつかめます。

 

 

または、好きな香りのハンドクリームを塗る。香りは脳の感情センターにダイレクトに届く!瞬間的に気分を整えるスイッチです。

 

 

「心の波立ちを、やさしく“トントン”してくれる存在」「イライラを“ふわっ”と綿毛に変える魔法」…なんていう言い方も似合う気がします。

 

 

気づいた時点で、そっと“ニュートラル”に戻す

 

深呼吸して好きなことや感謝に意識を向け直す

 

これが地味だけど最強の現実変化テクニックです。

 

 

私のニュートラライザー・リスト

 

そもそも気分が乱れるのは人間として自然なこと。ただ、自分にとってのいつでもニュートラルに立ち戻れる場所があると心強いです。

 

 

「私のニュートラライザー・リスト」なんて作ってみてもいいかもしれませんんね✨

 

 

ノートでもスマホのメモでも、「これ見たらちょっとウキウキする」という写真・動画・言葉・予定のリストをつくっておき、自分だけの“戻る場所”を先に用意しておくのです。

 

 

そして、気づいてしまったんです。私にとっての癒しって…あ、マリモのYouTube動画だ!見ているだけで呼吸が整うナチュラル・ニュートラライザー🌿自分で言うな('ω')

 

 

もちろん、ほかの方の動画にもたっぷりと癒しをいただいております。綺麗に丁寧に編集されていて素晴らしいなぁと、いつも感動しています。でも、比べて落ち込まない(笑)ことが大切ですね。

 

 

🌸自己満足は “魂のごちそう” だった

 

 

自分のつくった植物の動画を見てリラックスできるって、まさに最上級の自己満足じゃないですか…さらに、その“自己満足の中にこそ本当の癒し”があるんじゃないか?自己満足って、実はすごい力を持ってるんじゃない?なんて思う私、ヤバすぎ。

 

 

いや、それが最高の癒しなんだ!

 

 

逆に、自己満足って、なんでダメだと思ってたの?

 

 

「人の役に立たなきゃ」「誰かに見てもらわなきゃ」と、他人の評価や数字に左右される、そんな思いに縛られていたんです。それもある意味、洗脳でした。

 

 

植物を撮っていると、ただただ癒されて、ほっとする。その瞬間、自分の波動がふわっと整うのを感じるのです。それでいんじゃね♪心から満たされることって、それだけで宇宙的な調和なんですから。

 

 

“自己満足”は、魂のエネルギータンクを満たす行為。そのタンクが満ちたとき、自然と「他者共鳴」も生まれる。

 

つまり、

 

「自己満足」はダメどころか、「満たされた私」が世界に放つ“波動”こそが人を癒す力になっていくかもしれないんですね。

 

 

もし「自己満足」に罪悪感を持っている暇があったら、今ここで葉っぱに包んで風に乗せて…バイバイしちゃいましょう🍃

 

 

“自己満足”を大切にしていい時代

 

時代はどんどん変わっています。外側に合わせるより、自分の内側の“ごきげん”を整えることが大事。そのごきげんが誰かの「ほっ」とする瞬間につながることもあるってことで。

 

 

だから堂々と、こう言ってみたい。

 

 

「これは、自己満足です。でも、もしあなたの心にも花が咲いたら、それはそれでとても嬉しい奇跡です。」

 

 

面白いことに、自己満足でつくったものほど、共鳴する人には深く届くという法則があるそうです。「これは自分のためにつくってる」と思っていたら、「それ見て癒されました」って誰かが思ってくれる。そうやって、世界はつながっていくということかもしれませんね。

 

 

ですから、他人の評価や数字に左右されず、「わたしが気持ちいい」「わたしがホッとする」そんな感覚を自分でつくり、自分で味わうこと。それはもう、宇宙的にもめちゃくちゃ正解なんです。

 

 

おわりに

 

感情の移ろいも、動画に込めた静かな願いも、すべては自分の癒しのために始まったことだった。「自分を満たす」って、けっしてエゴじゃない。それは、世界を癒す一滴になるんだって、今は思えるのです。

 

 

だから「自己満足だからダメ」って思ってた私にサヨナラしました。

 

 

あなたが「これは自己満足かも…」と思ってためらっていることは何ですか?

 

 

それはきっとあなたを満たし、やがて誰かも癒す神聖な“最初の一滴”かもしれません。どうぞ、遠慮なく続けてくださいね。

 

 

ところで、自己満足という花言葉を持つ植物はありませんでしたが、大好きなスミレが何かメッセージを伝えてくれそうです。

 

 

スミレ(菫)の花言葉は、誠実・小さな幸せ・謙虚。

 

マリモのチャンネル

 

 

控えめだけど凛と咲く姿が好きです。

 

 

植物ってほんとうにかわいい。「かわいい」と思ったその感情がはじける瞬間、そこに命の輝きが映っています。たとえそれが一瞬でも、その記録はこの世界の片隅で確かに咲いた“真実の一輪”です。

 

 

わたしも、一つ一つの植物と誠実に向き合って動画をつくり、一人でも見てくれたらうれしい、ありがとう、という謙虚な気持ちを忘れず、気分よく、小さな幸せを感じていたいです。

 

 

「キライ」を入口に、ぐるっと心の中を旅して、最後には「私、これでよかったんだ」という自己満足に帰ってくる、魂の内観ミステリーツアーに長々とお付き合いいただきありがとうございました。🕊️

 

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