メンタルヘルス

怒りは平和の種

 

星の数ほどあるブログの中から、当ブログにお越しくださりありがとうございます。「老化もまた進化」を合い言葉に明るく生きるためのヒントを愛を込めて綴ります。

 

 

学校の勉強で、今でも私の役に立っているのは、俗にいう「読み書きそろばん」と、そして「感想文の書き方」です。

 

 

私は、感想文を書くのが得意だと思っていました。でも、あるとき先生に言われたのです。「うん、で? これは感想文じゃなくて、あらすじだよ。」

 

 

ショックでした…。いや、こっちは原稿用紙3枚埋めたんだよ?と心の中で反論。けれど、大人になった今、あの一言は私にとってすごく大きな学びになっていると実感しています。

 

 

そう、人生も同じなんです。

 

 

大事なのは、どんな出来事があったか(あらすじ)よりも、「自分がどう感じたのか(感想)」なんですよね。出来事そのものよりも、それに対してどう思ったのか、どう心が動いたのかが大切なんです。

 

 

実は、「どう感じたか」に気づくだけで十分なんです。「ああ、今、私は怒っているんだな」「悲しいんだな」「悔しいんだな」「嬉しいんだな」

 

 

ただ、そうやって自分の気持ちに気づく。
それだけで、少し心が楽になります。

 

 

人間って、どうやら感情を味わうために生まれてきたらしいです。

 

 

料理でいえば、食べたら体の栄養になります。でも、感情は食べ物じゃないから、そのままだと消化不良になったり、心の中でずっと腐ったままだったりします。

 

 

せっかくなら、苦いのも、しょっぱいのも、甘いのも、感情のフルコースをしっかり味わう。そして、十分に味わった感情はちゃんと昇華されて、次に進む力になります。

 

 

 

でも、それを「怒った自分ダメだな」と否定したり、「まあ、我慢、我慢」と押し込めてしまうと、後で思い出したときに、倍返しでモヤモヤが襲ってきたりするんですよね。(経験済み)

 

 

 

感情って、どうやら「無かったことにされる」のが一番嫌いみたいなんです。

 

 

第一章|怒りとは、魂からのメッセージ

 

私たちは、怒りに対して「良くないもの」「あってはいけないもの」という無意識の思い込みを持っています。特に日本人は、怒りを抑え、空気を読み、和を保つ文化の中で育ってきました。

 

 

しかし、怒りは本当に消さなければならない感情なのでしょうか。

 

 

私自身、ただ穏やかに、静かに、平和に暮らしたいだけなのです。けれども、未来に対する漠然とした不安が心に横たわっているのを日々感じています。

 

 

そして、その不安はいつの間にか、怒りとなり、社会や誰かへ向けてしまいたくなる衝動として現れることがあるのです。

 

 

ある時、気づきました。この怒りは、ただの個人的な感情ではなく、どこかで「外側」に向けさせようとする流れがあるのだと。

 

 

ニュース、噂、空気感、それらが巧妙に人々の不安や怒りを煽っている。しかし、私の内なる声は、はっきりと告げました。

 

 

「その流れに乗ってはいけない」

 

 

怒りは、私たちの内側にある「平和を求める気持ち」が傷ついた時に生まれる魂のメッセージです。怒りは排除すべき感情ではなく、魂が私たちに「私はもっと平和でありたい」と教えてくれている証なのです。

 

 

そして、今、私は気づいています。 実は、今この瞬間、私の心は驚くほど平和で、静かで、安心に満たされています。未来がどうなるかは分かりません。ですが、今この瞬間は確かに平和なのです。

 

 

この感覚を十分に味わい、感謝することが、怒りの昇華の第一歩なのだと感じています。怒りは私たちを平和から遠ざける存在ではなく、逆に平和の尊さを教えてくれる、愛すべきメッセンジャーなのです。

 

 

第2章|怒りと集合意識の関係

 

 

日本人は、長年「怒り」を内に秘めてきました。心の奥底に押し込められた怒りは、時に社会全体に沈殿したような空気を作ります。けれど近年、その空気が大きく揺らぎ始めました。

 

 

政治、経済、社会問題――ニュースやSNSからあふれ出す怒り。 そして、まるで怒りの導火線に火がついたかのように、人々は声を上げ始めました。

 

 

しかし、その怒りは、本当に社会や誰かにだけ向けられるべきものなのでしょうか?

 

 

私たちの怒りは、外側だけでなく、私たち自身が「内なる平和」を失っている時にも生まれます。

 

 

怒りの根底には「安心したい」「守られたい」「穏やかでいたい」という心からの願いがあります。 その願いが叶わない時、怒りとなって表に現れます。

 

 

そして、この怒りは一人ひとりの内に留まらず、集合意識という目に見えない川に注がれていきます。多くの人の怒りが重なれば、その集合意識は社会を覆い、世界は怒りで満たされてしまいます。

 

 

しかし、逆もまた真実です。

 

 

もし一人ひとりが、怒りを正直に感じ、昇華し、平和を取り戻したならば、その波紋は集合意識に広がり、社会を静かに変えていく力になります。

 

 

怒りは、外に放つのではなく、まず自分自身の心から癒していくことで、社会全体に光をともす鍵となるのです。

 

 

第3章|怒りの昇華メソッド

ステップ1|怒りをただ感じる

怒りに気づいたら「私は怒っている」と自分にやさしく伝える。

 

怒りは否定せず、味わうために生まれた感情です。「私は怒っている」と素直に認めるだけで、暴れずに落ち着いていきます。

 

ステップ2|怒りの奥にある本音を聴く

怒りがあるのは、守りたいものがあるから。安心、信頼、自由、平和——。 その奥にどんな願いがあるのかを心に静かに尋ねてみましょう。

 

ノートに、その怒りの奥にある願いを書き出しすのもいいですね。

 

ステップ3|怒りを昇華する

怒りの根底にある願いを見つけたら、その願いを自分自身に与えてあげましょう。

 

怒りは「平和を失ったサイン」です。そのサインをもとに、自分の内側に安心や平和を与え直す。そうすることで、怒りは優しさや力、思いやりとなって生まれ変わります。

 

怒りを消そうとせず、やさしく抱きしめるイメージ。自分の内側に平和を取り戻すことです。小さな安らぎでも、それは集合意識に必ず届きます。

 

世界を変えようとせず、ただ平和で在ることが世界を変える力となります。

 

 

最終章|怒りは平和の種

 

怒りは自分や誰かを責めるためではなく、内なる平和への扉です。

 

 

怒りを昇華するとき、私たちの心に静かな安らぎが生まれます。 そして、その安らぎは、目に見えないけれど確実に周囲に広がり、集合意識の中に静かな光をともします。

 

 

社会はすぐには変わらないかもしれません。けれど、自分の内側が平和である限り、私たちは世界の中で揺らぐことなく歩むことができるのです。

 

 

怒りは平和を遠ざけるものではありません。怒りと平和という矛盾した2つの概念が溶け合うことで、内側に本当の安らぎという芽が生まれるのです。

 

 

「怒りは私たちの内なる平和の種」です。 大切に適切に扱えば、内側に本当の安らぎという芽が育ちます。

 

 

怒りを感じるたびに、私たちは問いかけることができます。 「私は本当は、何を大切にしたかったのか」そして、そっと、私たちを導いてくれるのです。

 

 

怒りを恐れず、否定せず、そのまま感じ、抱きしめていきましょう。 その先に、私たちだけの本当の平和が待っています。

 

 

あなたの大切な時間を使ってお読みいただきありがとうございました。

 

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